LOGIN「さて、帰りはワイバーンに乗っていこう」
ゼノヴィアスが、まるで少年のように目を輝かせてワイバーンを指さした。
月光を浴びて銀色に輝く巨竜は、主人の喜びを感じ取ったかのように、ゆらりと長い首をもたげる。
「え? 本当に乗ってもいいんですか?」
シャーロットは息を呑んで、改めてその巨体を見上げた。
城壁ほどもある体躯。鋼のような|鱗《うろこ》。そして何より、知性を宿した琥珀色の瞳――。
間近で見ると、その存在感は圧倒的だ。けれど不思議なことに、恐怖はない。むしろ、胸の奥で何かがそわそわと騒いでいる。
「当然だ。我が妃候補には、特別な待遇をせねばな」
ゼノヴィアスは得意満面で胸を張った。
「まだ候補ですからね?」
シャーロットは慌てて釘を刺した。けれど、その声音に先ほどまでの拒絶の色はない。
「ふふっ、分かっておるとも」
ゼノヴィアスは悪戯っぽく、けれど優しく微笑んだ。
そして――。
「では、参るぞ!」
次の瞬間。
ひょいっと、またしてもあの腕がシャーロットを軽々と抱き上げた。
「きゃっ! もう、いきなりは……」
抗議の言葉は、風にさらわれて消えた。
ゼノヴィアスは彼女を大切な宝物のように胸に抱いたまま、地を蹴る。一瞬の浮遊感。そして気がつけば、ワイバーンの背の上に降り立っていた。
そこには、見事な細工の鞍が据えられている。
漆黒の革に銀の装飾。座面には柔らかな毛皮が敷かれ、長時間の飛行にも耐えられるよう工夫されていた。
ゼノヴィアスは慎重に、まるで壊れ物を扱うようにシャーロットを鞍に座らせる。そして自分も、彼女の隣にそっと腰を下ろした。
「しっかり掴まっていろよ」
優しい命令。
そして、手にした小さな鞭で、ワイバーンの脇腹を軽く叩く。合図だ。
ゴゴゴゴゴ……。
巨体が震える。まるで眠りから覚めた山
『いやまぁ、我々にはこんな作戦、思いつかないからねぇ……』 誠は苦笑いを浮かべた。『上手くいくといいんだが……』「ぜーーったい、上手くいきますって!」 シャーロットは力強く断言する。「誠さんだって、トマトのない世界でしばらく暮らしたら、禁断症状出ると思いますよ?」『あー、まぁ……食べたくはなるだろうなぁ……』「ほらほら! ふふっ、【|紅蜘蛛の巣《トマト・トラップ》】大作戦、開始ですよ!」『オッケー! 俺たちは密かに監視してるから頑張って! グッドラック!』「ちゃんと捕まえてくださいよ! グッドラック!」 やがて、フードコートに人が集まり始めた。 家族連れ、若いカップル、老夫婦――皆、祭りの雰囲気を楽しみながら、思い思いの屋台へと向かっていく。 しかし――。「美味しいオムライスですよ~! 真っ赤なソースが美味しいですよ~!」 シャーロットがいくら声を張り上げても、人々の反応は冷たかった。 サンプルを一瞥して、顔をしかめる。 真っ赤なソースを見て、驚いて首を振る。 そして足早に通り過ぎていく。(あぁ……) シャーロットは口を尖らせた。 予想通りとはいえ、やはり寂しい。自慢の料理が避けられるのは、料理人として心が痛む。「あのぉ……」 若い男たちが恐る恐る近づいてきた。「これは何なの?」「あ、これはですね」 シャーロットはかごに山積みにしていた真っ赤なトマトを一つ取り、最高の営業スマイルを浮かべる。「この赤い野菜を煮込んだソースを使った料理なんです」「何この野菜……、甘いの?」 男の一人が顔をしかめた。「いや、甘いというよりは酸っぱい……かと」 確かに果物なら真っ赤になれば甘いものだが……。「酸っぱいの!? ちょっとグロいね」「まるで血みたい」「俺、から揚げんとこ行ってるから」「あ、俺もから揚げにしよ!」 あっさりと背を向けられる。「まぁ、そうなるわよねぇ……」 シャーロットはため息をつく。「狙い通りなんだけど、ちょっとムカつくわ」 シャーロットはキュッと口を結んだ。 ◇ 開場から二時間――――。 売り上げは、完全にゼロ。 周りの屋台が次々と料理を売りさばく中、シャーロットの屋台だけが取り残されている。(くぅぅぅ……【|黒曜の幻影《ファントム》】どころか、一人も来ない……。こ
「田舎の親が倒れちゃって、急遽行かなくちゃならないのよ……」「あらら、それは大変ですね」「そうなのよ。でもこんな直前に取りやめたら迷惑かけちゃうじゃない? 誰か切り盛りできる人を探してるんだけど……」 すがるような視線が向けられる。「良かったら、お願いできない?」「へ? 私がですか!?」 シャーロットは目を丸くした。「カフェを開くんでしょ? この街を知るいい機会にもなるはずよ?」 店主はニコッと微笑む。 出店をを……出す……? トマトがないこの世界でオムライスを出せば、間違いなく大成功するだろう。 店主の期待にも応えられる。 でも――――。(そんな悠長なことしてる場合じゃない) 自分の使命は【|黒曜の幻影《ファントム》】の捕獲。 出店なんて出している暇は――。 その時だった。 シャーロットの中で、何かがチリッとスパークした――――。(え……? ……待って) 思考が、急速に回転し始める。(トマト……?) 心臓が、ドクンと大きく脈打った。(そうよ……【|黒曜の幻影《ファントム》】だって、元は|万界管制局《セントラル》の職員なんだから、トマトの美味しさを知ってるはずだわ!) そして、この世界にはトマトがない。 もし、ルミナリア祭でオムライスを出したら――――。「そうよ!」 シャーロットは弾かれたように立ち上がった。「これだわ!」 驚く店主の手を、両手でがっしりと掴む。「やります! やらせてください!!」 瞳が、希望の光でキラキラと輝いた。(聞き込みで見つけられないなら
そんな中、八百屋の店先で一つだけ些細な発見があった。(やっぱり……) 色とりどりの野菜が山と積まれた中に、あの赤い宝石のような姿はない。(この世界にも、トマトはないのね……) シャーロットの顔に、寂しい笑みが浮かんだ。 脳裏に浮かぶのは、『ひだまりのフライパン』の看板メニュー。(もしここで『とろけるチーズの王様オムライス』を出したら……) ふわふわの卵に包まれたケチャップライス。 とろりと溶けるチーズ。 そして何より、トマトの酸味と旨味が凝縮された真っ赤なソース――――。 きっと、この世界の人々を驚かせ、虜にするだろう。(って、そんなこと考えてる場合じゃない!) 慌てて頭を振り、妄想を追い払った。今は捜査に集中せねばならないのだ。 ◇ 半日かけて市場を回り尽くしたが、成果は完全にゼロ。 シャーロットは噴水の縁に腰を下ろし、顔を両手で覆った。(どうしよう……本当にどうしよう……) 初日でこの有様では、先が思いやられる。 誠さんに何と報告したらいいのだろう? 『何の成果もありませんでした!』なんてどんな顔で報告したら――――。 シャーロットはぎゅっと目をつぶった。(聞き方が悪いのかな……) いや、そもそものアプローチが根本的に間違っているのかもしれない。(もし私が【|黒曜の幻影《ファントム》】だったら……) 目を閉じて、想像してみる。 この中世ヨーロッパ風の大都市。石畳の道、運河、白亜の建物。 システムをハックしながら、人目を避けて生きる日々。 孤独で、誰とも深く関わらず、でも人恋しさは消せない。どこへ行く――――?「あっ
『でもまぁ』 誠の声が、急に優しくなる。『その天然ボケが、聞き込みには合ってそうだから期待してるよ。はっはっは』「て、天然ボケって……」 シャーロットは頬を膨らませた。『いやいや、いい意味でだよ』 誠は慌てて付け加える。『明朗快活、のびのびと自分の道を行くキミには、我々にない視点があると思うんだ』 温かい励まし。『システムに詳しい我々は、どうしても理詰めで考えてしまう。でも、キミなら違う角度から【|黒曜の幻影《ファントム》】を見つけられるかもしれない』「そ、そうですよ!」 シャーロットの顔が、パッと明るくなった。「私、絶対に【|黒曜の幻影《ファントム》】を見つけて……」 グッと拳を握りしめる。「私の世界を取り戻すんです!」 あの三分間の記憶が、胸を熱くする。 彼の温もり、優しい声、そして最後の約束――『ひだまりのフライパン』で、また会うのだ。『ははは、その意気だ』 誠も笑った。『まずは、その先にある市場からね。朝市の時間だから、人も多いし、情報も集まりやすいはず』「ラジャー!」 シャーロットは敬礼のポーズを取った。 そして、中世ヨーロッパ風の編み込みが施されたカーキ色のワンピースの裾を整える。それは田舎から来た純朴な娘――中身は神の力を操る元転生カフェ店主――完璧な変装だ。(【|黒曜の幻影《ファントム》】を見つければ、それだけでゴール!) ふんっと鼻息を荒くする。(なんて簡単なお仕事! 今日中に決めてやるんだから! ゼノさん、待っててね!) キュッと口を結ぶと、シャーロットは意気揚々と大股で歩き始めた。 ◇ 石畳の道の先には、色とりどりのテントが立ち並ぶ市場が見えてくる。 野菜や果物の山、香辛料の匂い、魚を売る威勢のいい声
「そう。でもね」 誠の目が、真剣に光った。「【|黒曜の幻影《ファントム》】を捕まえない限り、多くの地球がハックされ続ける。無数の人々の平和な暮らしが、奴の気まぐれで壊され続ける」 そして、少し声を落として。「美奈ちゃんも、これでかなり頭を痛めているんだ」 期待のこもった視線を向ける。「もし、キミが見つけたとしたら……それは間違いなく大成果だよ」「ほ、本当ですか!?」 シャーロットの目が輝いた。「じゃあ、見つけるだけでも、私の世界は復活できるってことですか?」「ああ、きっと十分だと思うよ」 誠は頷いた。 うわぁぁぁ……。 ゼノさんに会える。 カフェを再開できる。 あの温かな日々が戻ってくる――。「でも……」 現実的な問題に戻る。(どうやって見つけよう?) 渋い顔で腕を組む。 シャーロットにはシステムの知識がない。できることといえば、街のライブ映像をじーっと眺めるくらい。でも、それで変幻自在のテロリストを見つけられるはずもない。「うーん、まぁ……」 誠は頭を掻いた。「とりあえず研修……からかな?」 苦笑いを浮かべながら、新しいプログラムを起動する。「まずはチュートリアルを受けてみて。基礎の基礎から始めよう」 誠はニヤリと笑う――――。 再び、シャーロットの体が光に包まれた。「えっ、ちょっと……」 言いかけた言葉は、白い光の中に消えていく。 次の瞬間、シャーロットはまた真っ白な空間に立っていた。(研修……か) 大きく息をつく。 この世界のシステムなんて分からない。
でも――。 次の瞬間、ゼノヴィアスの体が透け始める。「あぁっ!」 霧のように、薄れていく愛しい人。「ゼノさぁぁぁん!」 シャーロットは必死に抱きしめようとした。でも、その手は虚しく空を切る。「また、カフェで会おう!」 最後に残った笑顔。 いつもの、不器用だけど優しい笑顔。 そして――。 完全に――消えた。「ゼノさん! ゼノさぁぁぁん!」 真っ白な空間に、シャーロットは崩れ落ちる。「うわぁぁぁぁん!」 慟哭が、何もない世界に響き渡っていった。 でも、唇にはまだ彼の温もりが残っている。 シャーロットは唇をそっと撫で、また涙をこぼす――――。 必ず、必ず成し遂げてみせる。 その決意を、涙と共に白い空間に刻みながら。 ◇「あれほど三分って言ったのに……」 オフィスに戻ると、誠がジト目でシャーロットを見つめていた。 その表情は呆れているようで、でもどこか優しさが滲んでいる。「ご、ごめんなさい……」 シャーロットは肩を縮こまらせた。「三分って、本当にあっという間だったので……」 まだ頬は涙の跡で濡れている。唇には、彼の温もりが残っている。たった三分――でも、無限の勇気をもらえた時間。「まぁいいよ」 誠は苦笑いを浮かべて手を振った。「それだけ大切な時間だったんだろ? 俺が美奈ちゃんに怒られるだけだから、気にしないで」「ほ、本当に申し訳ありません!」 シャーロットは深々と頭を下げた。この人の優しさが、胸に染みる。「で、早速なんだけど……」 誠の表情が、急に真剣なものに変わった。「キミへのミッションにつ







